まず、詩人としての評価が比較的安定しているジョン・キーツ(1795-1821)を取り上げ、その詩的表
現の特徴を考察する。次に、詩人としての評価が最近になるまで定まらず、むしろ、ポルノグラフィッ
クと貶められることの多かった王政復古期の詩人、ロチェスター伯(1647-80)の作品について考察
する。両詩人の作風は、一見したところでは、全く相容れない対極にあるように見えるが、果たして
そうであろうか。「詩的であること」の真価は、題材にではなく、言語表現の特質にこそ求めるべきも
のである事を、作品の精読を通じて検証し、更には、その作業を通じて、詩的言語の本質の一端を
明らかにしたい。
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